2009/05/15

BKC祈り会&聖研

この週もBKCでは木曜日に祈り会、金曜日に聖研をしました。木曜日の祈り会は、最近よく使うリンクスクエア2階のだだっ広いミーティングルームで、まったりと祈りあいました。「じゃ祈ろうか?」といえることの幸せ。静まってお互いを励まし、祈りある幸せ。祈ることはクリスチャンの特権。感謝して受け取りたいものです。金曜日の聖研は、いつものセントラルアーク4階のミーティングルームで続けてヨハネの福音書を開きました。この日はヨハネの4:46-54。「ことばを信じるとは?」この箇所で登場してくる役人は、イエスを信じた。すると息子が直った。信じて救われる。単純なことのように思えるけど、僕たちはこのことについて、うーん、とうなりながら聖書を開き考えました。「役人が信じなかったらその息子は直らなかったのか?」「信じたらみんな直るのか?」信じるということは僕らが考えているほど簡単なことではないのかもしれないなあ。けれども信じたら救われる。これは恵として僕たちは受け取ることができることを覚えて生きたいと思う。

2009/05/14

BKC祈り会&聖研

 遅くなりましたが、先週、木曜日と金曜日に祈り会と聖研をしました。1週間のうち(実質5日間)のなかで2回もみんなで集まれるなんて、なんて素敵なことでしょう。感謝です。
 木曜日の祈り会では黙示録8:1‐5から祈りの重要性について聖書から学び、お互いのことを覚えて祈りあいました。クリスチャンはよく祈ります。そしてクリスチャンはお祈りは神との会話だとも言います。けれども黙示録のこの箇所を読むと、クリスチャンにとっての祈りは使命だということが書かれています。クリスチャンは「祈らなくてはならない」のだそうです。「敵を愛し迫害するものもために祈れ」とイエスは言ったけど、祈りはクリスチャンにとって、特権でもあり、非常に重い使命でもあるんですね。
 金曜日の聖研では、続けてヨハネの福音書を開きました。ヨハネ4:7-26。僕の準備が悪かったのか、沈黙が続いてしまった。けれども、そんな沈黙が続くとき、ある先輩から言われた「沈黙を恐れてはいけない」ということばを思い出す。僕たちは聖研で、正解を出そうとしているのではない、聖書からそれぞれ人格的な学びを受けることを求めているんだ。今はKGKの関東地区で主事をしている彼から言われた言葉は、僕を励ますと同時に、聖研の司会の働きの重さを教えてくれます。

よーこー