2009/04/23

BKC聖研?

 今週もBKCで集まって聖書を開きました。
 先週はミスターと僕の就活組がいなくて、聖くんと俊介が集まったようです。聖くんは俊介が実験を終えてミーティングルームに来るまでひとりで待ってくれていたよう。そんな聖くんの忠実な姿に励まされます。そんな聖くんが俊介を待つ姿から、僕は勝手に、ヨシュアのことを思い出してしまった。山に登って行ったモーセをひとり待つヨシュア。ヨシュアに与えられた祝福と同じ祝福が聖くんにもありますように。
 今週は就活組が帰ってきたけれど、みんな忙しかったので、最初のほうはミスターと僕にふたりだった。久しぶりにミスターとお互いのことを分かち合いをしてよいときでした。それぞれ就活中なので、ぜひ覚えてお祈りしてください。ミスターと話していると、実験終わりの俊介が到着。時間もあまりなかったので、聖研は延期にして、来週開く予定のヨハネ3:1-16を三人で予習した。ここもなかなか理解するのが難しい箇所。ミスターが時代背景やニコデモの心情などを説明してくれて、僕と俊介はふたりして「へ~」とうなる。聖書は奥深いもの。しっかり読み込まないと飛ばしてしまう。さて来週はどんな聖研になるのでしょうか!?キーワードは「夜」!?

来週の聖研(予定)
・5/1(金) 14:40~16:10 ←曜日を変更します!!
・ミーティングルームかな?
・ヨハネの福音書3:1-16

来週は4/20(月)に滋賀ミーティングもあるのでBKCのみんなはぜひ行きましょう!!

今日の参加者 ミスター 俊介 僕
よーこー

2009/04/09

BKC聖研

BKCからこんにちわ♪(おはよう?こんばんわ?)
今日からBKCでは新学期の聖研がスタート。今年も学内で聖書を読むことができるんだと思うと自然とにやけてしまう僕がいる。聖書を読めることは特別なことだし、仲間と一緒に聖書を読めるのはもっと特別なこと。そしてとってもうれしいことなんだ。また今年も聖書を開くことがゆるされている。感謝です。

今日開いた箇所はヨハネ2:1~11。カナの婚礼の箇所。イエスが水をぶどう酒に変える、初めての奇跡を行ったところ。この箇所を開きどう感じる?2000年も前の出来事だし、僕たちがまだ経験していない結婚式のはなしだし、奇跡についての記事だし、なかなか理解することは難しい箇所かもしれない。(事実、僕は事前に読んだけど、この箇所は何を言おうとしているのか、ちょっと分からなかった。)

「ぶどう酒がありません。」と言った母の気持ちはイエスなら何とかしてくれる、神のみ子を信頼してのことばだ、と言う発言が出た。母はイエスの誕生からそれまでの人生を見て、彼を神のみ子と絶対的に信頼していた。はたしてクリスチャンの僕はイエスを信頼しているだろうか。絶対的な信頼でイエスと付き合っているだろうかと問われたような気がした。僕はイエスにちゃんと「ぶどう酒がありません。」と言えるのかなあ。

僕は中学生までは自分はわりといい人間だと思っていた。しっかり生きていけばいいおとなになれると思っていた。けれども、高校受験を前にしたころ、自分の中ある、愛がないという罪に気がついた。どうしても愛することのできない人に出会ってしまったとき、自分はよい人間ではないのだと思い知らされ、自分中心の生き方しかできていないと気づかされた。これは僕にとってショッキングな事実で、控えめに言ってものすごく落ち込んだ。だけどそんな汚い自分のためにイエスは十字架にかかって死んだのだったと思い出すことができた。そのとき初めてイエスの十字架を自分のものとして受け入れることができた。
イエスは僕のきよくなりたい、よく生きたい、と言う必要を満たしてくれる人だった。ぶどう酒は血のたとえとしてしばしば聖書の中に出てくる。そしてイエスの血はすべての罪をきよめる。

 あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖いだされたのは、
 銀や金のような朽ちるものにはよらず、
 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、
 尊い血によったのです。(Ⅰペテロ1:18,19) 

中学生のころは切羽詰っていたから「ぶどう酒がありません。」と言えたけど、今はどうかな?そもそも自分にイエスの血であるぶどう酒が必要なんだと思っているのかな?今日の聖研はそんなことを気づかせてくれた。ちゃんと素直に「ぶどう酒がありません。」と言わなきゃな。

今日の出席者 がんちゃん(俊介とは言わない)、なっちゃん、ゆりちゃん、ミスター、聖くん(写真撮れなくてごめんよ)、僕
BKC よーこー

2009/04/03

BKCビラ配り


BKCの春はいつも強風。今年もそんな風にあおられながらも、聖研のビラ配りをしました。

この時期大量に配られる新歓ビラのなかで、たった500枚というビラだけど、それでも少しでも聖書に興味がある人に届くように思いながら、ビラを配る。シャロームは公認のサークルではあるけど、「聖書」という文字を見ると新入生は少し戸惑った顔を見せることもある。そんな顔を見ると僕は少し不安になる。聖書のイメージってそんなものなのかなあ、と。僕は聖書を開くたびに、その歴史の深さだったり、その表現の広さだったり、時にはその意味不明さだったりに感動する。そして聖書は単なる宗教の書物の枠には収まりきらないんだって思わされる。僕はクリスチャンだけど、小説を読むように聖書を読んでもいいと思う。創世記や福音書のストーリーに身をゆだねてみたり、詩篇の表現に感動したりしてもいいと思う。聖書って意外!?に面白いし、突っ込みどころが満載だから。だから聖書を「怪しい書物」って無視しないでほしい。

新入生にビラを配りながらそんなことを考える。学生生活は思ったよりも忙しいもの。ゆっくり落ち着いて考える時間を新入生には大事にしてもらいたいなあ。
BKC よーこー