2009/06/19

BKC聖研

6/18、19。今週も楽しいヨハネ聖研。ひとりの盲人の目がみえるようになる箇所から、「神のわざ」が私たちに現れるとはどういうことか、まったりとだけどじっくりと学びました。
この男が盲人に生まれたのは、この人の罪のためではなく、この両親の罪のためでもなかった。ただ神のわざが現れるためだと、イエスは説明した。私たちは目は見えるかも知れないが、私たちが生きているのは、神のわざが現れるためだけなのかも知れない。聖研の中で、この男は神のわざが現されるためだけの、神の駒ではないか、という話になった。そうかも知れない。だけど、全知全能の父なる神なら、そんな駒を使わなくても、ご自身の栄光を現す方法はいくらでもあっただろう。それなのに、この男を通して神のわざをあわらしたのは、神が私たちを愛して、一緒に生きていきたいからなのだと、僕は思う。人間の生きる目的はなんだろうか。思春期の高校生のようにそんなことも考えてしまう。

よーこー