2011/11/14

「幸いな者」とは

先週の木曜日のシャロームは新しい子が2人参加してくれました</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.1&disp=emb&zw></mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.2&disp=emb&zw></mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.2&disp=emb&zw></mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.2&disp=emb&zw>
 
琴ちゃんと、望くんです<https://mail.google.com/mail/e/ezweb_ne_jp/B1A><https://mail.google.com/mail/e/ezweb_ne_jp/B1A><https://mail.google.com/mail/e/ezweb_ne_jp/B1A>ウェルカム(^∀^)ノ<https://mail.google.com/mail/e/ezweb_ne_jp/813>やすしも久しぶりに来てくれて</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.3&disp=emb&zw>
7人での聖研で賑やかでした<https://mail.google.com/mail/e/ezweb_ne_jp/B94>
 
火曜日も航くんがビラを見て初参加してくれました</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.4&disp=emb&zw>
神学生の小崎さんもSkypeで緊急参加</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.5&disp=emb&zw></mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.5&disp=emb&zw>
 
先週はルカ6:20〜26から学びました</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.6&disp=emb&zw>
「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」(ルカによる福音6章20節‐26節)」
 
 
皆さんにとって幸せとは何ですか</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.7&disp=emb&zw>
 
聖書で語られる幸せとは一般的な常識とはかなり違うようです…</mail/u/0/s/?view=att&th=133a0c686a709e8f&attid=0.8&disp=emb&zw>
 
目先の一瞬の間違った幸福でなく、真の幸せとは何か、改めて問うてみる必要があると思いました。
余分なものを捨てられずに苦しんでいませんか?
 
ピリピ2章6〜8節を読んで、イエス様の行き方はどのようなものであったかみてみましょう。
 
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
 
神様がこの世の支配者であることを確信し、希望・勇気を持ってこの世の価値観に流されるのでなく、積極的に貧しい歩みをしたいと思います。