(さっきUPした記事がスマフォからで文字化けしてしまったのでもう一度載せます)
「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」(ルカによる福音6章20節‐26節)」
目先の一瞬の間違った幸福でなく、真の幸せとは何か、改めて問うてみる必要があると思いました。
余分なものを捨てられずに苦しんでいませんか?
ピリピ2章6〜8節を読んで、イエス様の行き方はどのようなものであったかみてみましょう。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
神様がこの世の支配者であることを確信し、希望・勇気を持ってこの世の価値観に流されるのでなく、積極的に貧しい歩みをしたいと思います。
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●(BKC) ba059080@ed.ritsumei.ac.jp (経営学部4回・浅田百合)
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